静けさに帰る


ブログにお越し下さり、ありがとうございます。のんです。


自粛解禁後、日常が戻ってきつつありますね。

このまま、前と同じ世界に戻るか?と考えるとき、多くの人は、きっと

そうはならないのではないかと感じられているのではないかと思います。

 

 

今までと同じようで、ずいぶん違うであろう

これから繰り広げられていく世界に寄せて

前回に引き続き

大好きな、老子の「タオ」より、ご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

第16章  静けさに帰る

虚(うつろ)とは
受け入れる能力を言うんだ。

目に見えない大いなる流れを

受け入れるには

虚ろで、

静かなこころでいることだ。

 

 

静かで空虚なこころには、

いままで映らなかったイメージが見えてくる。

萬物は

産まれ、育ち、活動するが

すべては元の根に帰っていく。

 

 

 

それは、静けさにもどることだ。

水の行く先はーー海

草木の行く先はーー大地

いづれも静かなところだ。

すべてのものは大いなる流れに従て

定めのところに帰る。

(そして、おお、

再びよみがえるのを待つ)

 

 

 

それを知ることが智慧であり

知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。

いずれはあの静けさに帰り

甦るのを待つのだと知ったら

心だって広くなるじゃないか。

心がひろくなれば

堂々とした態度になるじゃないか。

 

 

 

そうなれば、時には

空を仰いで、

天と話す気になるじゃないか。

天と地をめぐって動く命の流れを

静かに受け入れてごらん、

自分の身の上でくよくよするなんて

ちょっと馬鹿らしくなるよ。

 

 

 

『Tao 老子』
加島祥造著/筑摩書房版

 

このメッセージは
とってもあったかく、静けさに帰ろうとするものを包み込んでくれます。
このことをずっと検証し、実践していったとき
今までの混乱が少しずつほどけていくと同時に、
静かなところへ帰る、という言葉が
静けさに帰ろうとするものへの慈愛の励ましであったことに気づきます。
なぜなら
静けさとは、帰るところではなく
最初から片時も離れたことなどなかった、私の本質であったことに
溶け去るからです。
 
 
 
虚ろで静かなこころでいる、というのは
そうしよう!と一生懸命にシャカリキに行うのではなく
そういう思考も自然に流れていくままにして
そのあとに残る空白(虚ろ)を発見し、気楽にくつろいで丁寧に味わうことから始まります。
これは結構コツです。
 
 
 
それは、先日からちょっとずつ書いてきた「リラックス」にもつながっていますよ。
よかったら合わせて是非、やってみてくださいね。
 
 
 
一人ではよくわからない、というかたは
個人セッションもありますから、良かったら是非ご一緒しましょう^^
 
 
 
 



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