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「わたし」という感覚は、いつから宿りましたか?
生まれたての時に「わたし」という感覚が確かにありました!というひとは
きっと、ごくごくまれなタイプで
「物心ついたとき」くらいから、「わたし」という感覚が生まれて
「わたしの」身体、感覚、思考、行動、認識・・・などなどに繋がっていくことが多いと思います。
ということは、「わたし」という感覚は、デフォルトではなく、後付けだった、ということになりますね。
その「わたし」という起点がしっかりと立ち上がってから
様々なストーリーが「わたしの」人生の中で展開されてきました。
そのストーリーは、時と共に、様々な思いや彩と共に、良かれあしかれ展開していき
今現在の「わたし」の輪郭を際立たせている要素の一つとなっています。
ここで、ちょっと想像してみてください。
もし、その「わたし」という感覚が全くなくなってしまったとしたら。。。
身体、感覚、思考、認識・・・
様々なストーリー・・・・
それらを統べる輪郭のようなもの・・・
「わたし」という感覚が全くなくなってしまったとしたら、
それらは、誰のものなのになりますか。
「わたし」という感覚が全くなくなってしまったとしたら
それらの要素は、単に要素となります。
また、「わたし」という感覚も、単なる思考の一つとして、単なる要素側へと配置換えされていきます。
そうなったら、今まで真剣に、深刻にとらえられていた、
「わたし」のものだと思い込んでいた様々な要素は
どんな印象になりますか。
それらは他人事のように、ちょっと遠くに感じるかもしれません。
それらは単なる要素として、すべてが、いとおしく感じられるかもしれません。
それらは「わたし」という連続性を生む起点を失い、一つひとつが生き生きと「いまここ」にいる感覚によって
毎瞬ごとに純粋に彩られていくかもしれません。
いままでの記憶という連続性が喪失することで、毎瞬が未知との出会いであり、驚きと好奇心の連続となるかもしれません。
だから
「わたし」という感覚をまっすぐに見つめてみてください。
そこに、ノンデュアリティが発信している、無条件の愛のメッセージがあります。
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