ブログにお越し下さり、ありがとうございます。のんです。
おおいなるもの、などなど
そういうことを示す言葉ってたくさんありますよね。
それと同時に
例えば、おおいなるものと〇〇ってありますよね。
気づいたり、一緒になったり、ともにあったり
みたいな。
それもいいと思うんですけど
せっかくなので、ここでは、
もうちょっとゼロセラピー&青空禅寄りに
進みたいんです。
例えば、おおいなるものと〇〇・・・というのは
「自分」と「おおいなるもの」という存在があることが前提となっています。
そうでなければ、大いなるものに気づいたり、一緒になったり、ともにあったりできませんね。
その前提のうえで進んでいくと、寄せては引く波のように、うまくいったり、うまくいかなかったりするのが常です。
なぜなら、自分(主体)と大いなるもの(客体)という二元の世界では、
すべてが変化していく運命であるために、不変なものは存在せず、うまくいき続けるわけがないからです。
ですから、「自分と大いなるもの」に関する物語には、
思ったような感覚は訪れたり訪れなかったりし続けるでしょう。
でも、大丈夫です。
ここから快進撃です。笑
「自分とは何か?」に気づくための問いを手掛かりに、どんな時も自らに問い続けることによって
自分という存在そのものが錯覚であったことが明らかになります。
その錯覚の解消によって
すべてを覆い隠していたベールが開かれます。
そのようになるならば、
自分と大いなるものが一緒になって・・・
という物語そのものが、明らかな錯覚であったことが明確になります。
大いなる存在は、どこか遠くにあるのではありません。あなたの呼吸より近くに常に在ります。
まるで、あなた自身のように・・・
いや、
まるで、という言葉は邪魔なような・・・
↑
これ、ヒントです。笑
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