ブログにお越し下さり、ありがとうございます。のんです。
「私」という自我から目覚め、本当の「わたし」とは何かという答えが明らかになったとき
「私」とともに「世界」と「時空」からの自由が始まる。
それは急速にかもしれないし、ゆっくりとかもしれないけれど。
認識可能なあらゆるものから自由になっていくと
時空から解き放たれ
目の前に広がる世界への重さが減っていく。
また、連続線上の時空から自由になっているので
目の前に広がる世界の連続性も薄らいでいく。
そうすると
毎瞬生まれては死んでいるために、毎瞬新しくなり、すべてが新鮮さと好奇で満ちあふれていく。
「私」や「世界」という勘違いが明らかになることで、改めて、世界は輝きを増し始める。
いままでと何らかわらないなかで、「わたし」という存在の前提がまったくちがってしまうために、全てがまったく違っていく。
悲喜こもごも、喜怒哀楽、聖人君主、魑魅魍魎・・・
世界はあらゆる色と熱を帯びたように見せながら、
「私」という物語の中心点を携えたように見せながら、
続いていくように見せながら。
そして、なにもかも、もほどなく過ぎ去っていく。
こんなに面白いことがあるのだろうか。
リーラ(神の戯れ)とは
よくいったものだ。
■そんなエッセンスに触れていく講座、
是非ご一緒しませんか^^
===========================================================
■随時募集中