【保存版】②「わたし」についての混乱の中にいるあなたへ


ブログにお越し下さり、ありがとうございます。のんです。


今日は、こちらの記事の続きを書いていきたいと思いますので

また読んでない方は、どうぞ読んでみてくださいね^^
『【保存版】「わたし」についての混乱の中にいるあなたへ①』●【保存版】「わたし」についての混乱の中にいるあなたへ①   ブログにお越しくださり、ありがとうございます。のんです。 今日は梅雨の晴れ間となりました広島市。…ameblo.jp

主体(自分)と、

客体(目の前の人物や世界や、様々な内面風景。気づく対象)

という、当たり前の構造を、前回の記事で確認しました。

当たり前のことを改めてみつめてみる、って

この道では特に重要、というか、それしか重要でないともいえるかもしれません・・・。

それくらい、「当たりまえ」だったことに切り込んでいくことが助けになります。

では、いつもの「当たり前」に隠されていることに、切り込んでいきましょう。

  主体と客体のなかでの、気づきとは?

普段わたしたちが「気づく」という言葉を使うとき、

それが普段通りの何かであれ、

どんな神秘的なことであれ、

たいていは

主体が、客体であるなにかに気付いた事を指しています。

その「気づいたこと」によって、なにかハッとして

現状が変わったりした経験あるかとおもいます。

「〇〇に気づいたの。それって大事よね。」

「〇〇に気付いたの。いい感じよね。」

そんな気づきもアリなのですが

ここではもうちょっとちがう「気づき」について

切り込んでいきます。

■  「気づき」の意識

主体と客体の構造では

主体(みるもの)と、客体(みられるもの)が、必要で

わたしが〇〇に気付いた、といいうこと全体を把握していますよね。

(当たり前のことを確認しているだけなのですが、その当たり前を踏まえることが大事なので、

何度も確認してくださいね)

では、ここで一つ問いです。

その「主体と客体」の構造の全体像に、どこから気づいていますか?

※よかったらコメント欄に書いてみてくださいね^^

問いの答えは、答えを見出すこともさることながら

自分で想いを巡らせるということがとても大事です。

最終的な答えがやってきたときに、とてつもないパワーを帯びるからです。

(おなかがめちゃすいてる時に食べる、いつものおにぎりが、泣けるほどおいしいみたいな?

しらんけどw)

ということで、今日もここで一区切り。

自分の実感とかは気にせず、理解の範囲内で構いませんので

ちょっと考えてみてくださいね^^




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