ブログにお越し下さり、ありがとうございます。のんです。
今日は、こちらの記事の続きを書いていきたいと思いますので
また読んでない方は、どうぞ読んでみてくださいね^^
『【保存版】「わたし」についての混乱の中にいるあなたへ①』●【保存版】「わたし」についての混乱の中にいるあなたへ① ブログにお越しくださり、ありがとうございます。のんです。 今日は梅雨の晴れ間となりました広島市。…ameblo.jp
主体(自分)と、
客体(目の前の人物や世界や、様々な内面風景。気づく対象)
という、当たり前の構造を、前回の記事で確認しました。
当たり前のことを改めてみつめてみる、って
この道では特に重要、というか、それしか重要でないともいえるかもしれません・・・。
それくらい、「当たりまえ」だったことに切り込んでいくことが助けになります。
では、いつもの「当たり前」に隠されていることに、切り込んでいきましょう。
主体と客体のなかでの、気づきとは?
普段わたしたちが「気づく」という言葉を使うとき、
それが普段通りの何かであれ、
どんな神秘的なことであれ、
たいていは
主体が、客体であるなにかに気付いた事を指しています。
その「気づいたこと」によって、なにかハッとして
現状が変わったりした経験あるかとおもいます。
「〇〇に気づいたの。それって大事よね。」
「〇〇に気付いたの。いい感じよね。」
そんな気づきもアリなのですが
ここではもうちょっとちがう「気づき」について
切り込んでいきます。
■ 「気づき」の意識
主体と客体の構造では
主体(みるもの)と、客体(みられるもの)が、必要で
わたしが〇〇に気付いた、といいうこと全体を把握していますよね。
(当たり前のことを確認しているだけなのですが、その当たり前を踏まえることが大事なので、
何度も確認してくださいね)
では、ここで一つ問いです。
その「主体と客体」の構造の全体像に、どこから気づいていますか?
※よかったらコメント欄に書いてみてくださいね^^
問いの答えは、答えを見出すこともさることながら
自分で想いを巡らせるということがとても大事です。
最終的な答えがやってきたときに、とてつもないパワーを帯びるからです。
(おなかがめちゃすいてる時に食べる、いつものおにぎりが、泣けるほどおいしいみたいな?
しらんけどw)
ということで、今日もここで一区切り。
自分の実感とかは気にせず、理解の範囲内で構いませんので
ちょっと考えてみてくださいね^^
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